サッカーが日本に普及するまで


家ごと降りてきた神様
サッカーの誕生は紀元前1万年。天の神様が地上に降りてきて「これ、やってみると良いぞよ」と言ったことから始まった。当時、人々は戸惑ったが、やってみると案外面白く、いつの間にかにサッカー人口は26人と二桁に急増した。ルールの方は今とは違い、球状の物体を先に蹴った方が勝ちというものだった

世界最古のゴール
紀元前1000年。サッカーが現在のルールと同じく、ゴールに入れたら1点というルールになり、点数を競うスポーツとなった。当時のゴールはチームによって石の細工のデザインが違い、地形を上手く利用して造られていた。しかし、10年後に地形の差がチームの強さに直結するということでルールの改正が見直された。写真は当時のゴール

日本に伝えられたボール
日本に伝えられたのは古墳時代中期。三度の飯よりサッカーが好きだと言う渡来人により日本に伝わった。しかし、当時ルールと同時に伝えられたボールは固い上に転がりにくいと大変不評であった。急速に流行しなかったのはこの辺りが理由と思われる。写真は先日発見された当時のボール

サッカーの起源、蹴鞠
大和朝廷時代。蹴り難い上、球ですらないボールよりも鞠の方が良いという事で、日本版サッカーとも言える蹴鞠が始まった。サッカーのルールとは似ても似つかず、蹴り上げる高さを競うものだった。平安時代以降、大ブームが起こり名人まで生まれた。平安後期の藤原成通は特に希代の名人と言われ、現日本代表に入っても十分通用すると言われる

素振りをする武士の図
サッカーと野球の対立というものは歴史が古く。遡ること戦国時代。戦に明け暮れる侍達は、戦で使わない足技を競う蹴鞠よりも、剣と扱いが似てる部分がある野球を好んだ。写真は熱心に素振りをする織田信長の家臣。戦中に素振りをしていた所を見つかり、切腹を命じられたと言う

勇敢な男、矢野
現代のサッカーが伝わったのは文明開化が叫ばれた明治時代。急速に西洋化が進む中、蹴鞠もサッカーへと変化していった。当時は武士の習慣からか球をよける選手が沢山いる中、勇敢な矢野という男が迫り来る球に向かって行ったと言う。彼は後にサッカープロフェッサーと呼ばれ、日本のサッカー史に名を刻んだ

高度経済成長期
時代は高度経済成長期。日本の経済が絶好調の中、サッカーの普及も同様に右肩上がりの図を描いていった。クラブチームも多数出来、各地にサッカースタジアムも数多く誕生した。某クラブチームオーナーの堀野氏は高度経済成長期のグラフの急成長で斜めに傾いてる所からヒントを得、自陣が有利になるよう自分陣地のゴールに向かって上り斜面のスタジアムを建設し話題になったが、後半戦に逆効果になることが判明し、取り壊すことにした

グランパスのマスコット
1992年。サッカー人気の火付け役として、日本で始めてのプロサッカーリーグ「Jリーグ」が発足した。発足する前、チームのマスコットの着ぐるみでサッカーをすれば人気が鰻上りではないか?という意見が多数上げられ、ほぼ決定とまで行っていたが、名古屋グランパスの「私達のチームの着ぐるみは足が鋭くてボールが蹴り難い」という猛反対に合い、普通の格好でサッカーをすることになったという

モスラ
現在。日本は3度連続のW杯出場を決め、現在ドイツで奮闘中。国対抗ということで、日本中大いに盛り上がっているが、近年の傾向として、自国の試合だけでなく欧州などの他国の試合にも注目が集まっている。現在、日本代表には日本に帰化してプレーする三都主という選手がいるが、その歴史を遡るとラモスというプレーヤーに当たる。彼も日本代表として活躍し、ドーハーの悲劇を経験した貴重な人物である。左図はラモスで無くモスラ

世界代表
西暦2500年。テキサス州ほどの大きさを持った巨大小惑星が、時速35、000キロのスピードで地球に接近していた。衝突すれば、確実に地球は全滅してしまう。人類が生き残る方法は、小惑星の地下深くで核爆発を起こし、その軌道を変えることである。このミッション遂行のため選ばれたのは、6人の宇宙飛行士と、8人の石油採掘のプロフェッショナル達だった。残された時間はあとわずか。終焉へのカウントダウンの中、彼等は全人類の希望を背負いついに宇宙へと飛び立った……。


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